「男なら一国一城の主になれ」なんていうフレーズがある。このご時世、ことさらに「男なら」というのは時代遅れだ。というのも間違いで、本来なら「このご時世に」「時代遅れ」も間違いだ。そもそも「男なら……」が間違ってるのだ。私はわりと幼い頃から「男なら泣くな」なんていうフレーズにいちゃもんをつけていた覚えがあるが、それは今はどうでもいい。

 先月、ウン十万のゲーミングPCを買った。仕事用でもあり、必要経費と言えば必要経費だ。動画編集も配信できるし、流行りのゲームだってUltra High設定でサクサク動く。なんだってできる。「うーん今日は大盛りでいっちゃうか」なんて考えながら食券ボタンを押すような気持ちで、意を決して立ち上げていたPhotoshopだってLightworksだって、今じゃ数秒で起動する。大盛りの牛丼だと思っていたものが、デニッシュリングくらいの手軽さになった。食べやすくなって新登場なのだ。

 そんなゲーミングPCが家に届いてセットアップが終わった翌日の夜、ひとつ思うことがあった。静かにファンを回してなんかしらの膨大な計算を行っている巨大なPCを見た私は、「俺は家で働く自営業のものとして、ウン十万のパソコンを買えるようになったんだ」と振り返ることになる。結論から言うと、この感情はまやかしのようなもので、達成感とは違った。

 今までの人生でそんな気持ちに浸ったことは一度もなかった。「仕事で成果を上げた」「新記録を打ち出した」というような他人から褒められるタイプの経験はおろか、自分で自分を褒めたくなるような体験だって然程なかった。そんな私は、買ったばかりのゲーミングPCを眺めたときに「男なら一国一城の主になれ」というフレーズを思い出す。

 「城」とは「生きた証」なのではないか。このご時世に、辛く苦しい労働を耐え抜いて、吹かぬ風に焦り、それでも自分が手にしたお金で、欲しいものを買う。それも物理的に、経験的に強力な価値のあるものを買う。プレス代が両肩にぶら下がって笑ったりする時代は変わり、私はやり遂げた、そういったデカい買い物、成果物は「オトコが生きた証」なのだ……ということなのか? と、私は答えを探ろうとした。そんなものはすべてまやかしだが、まやかしの発生源くらいは覗いてもいいんじゃないかと思った。

 そんなものが「生きた証」だとしたら、あまりにみっともない。結局、資本主義の社会である程度がんばって、それなりの成果を経て、資本主義社会に沿った生き方をしているだけだ。ゲーミングPCだろうとクルマだろうと家だろうと城だろうと、何も変わりはない。ちょっとだけ難易度の高い資産運用をしているようなもので、誇れることとはとうてい思えない。

 少しだけ「証」マナーに則ってやるとするが、私が買ったのはゲーミングPCで、それ自体だってべつに面白くはない。そして正直言って、私にとっては牛丼だって高級な食事のうちに入るくらいだから、別に「お金持ちになってうれしい」というたぐいの話でもない。

 つうか、仮に牛丼が350円だとして、一週間に3回ほど食べたとしたら、1,150円だろうが。それだけあれば6~7食分くらいの自炊はできるし、詳しくは知らんが栄養バランスも優れているものができて、なにより料理をする時間を楽しめる。Wikipediaでまったく知らん異国の料理について調べて作ったりできる。そういう経済観で生きているので、いまいち想像できないところが大きい。

 そんなことを考えながら、私は再び巨大なゲーミングPCを眺めてみた。ほら今眺めた。ファンが静かにまわって、青と緑の光がチカチカ明滅している。正直言って「塊」だ。こんなもの自体はなんでもない。食べやすくなって新登場したPhotoshopだったりLightworksだったりOBSだったりのほうが重要なのだ。

 クルマはインターネットに呪詛を残せない。城の主にならずともMinecraftのサーバーの主にはなれる。ほら愉快な気持ちになってきた。好きなだけ呪詛を残せてMinecraftのサーバーを建てられる塊に誰かを乗せて一緒に遠くに行ったりすることはできないが、正気を失った私がこの塊を使って他人に激突することはない。あるかもしれないが、そのときの私は正気を失っていないと信じたい。